父の最期

  • 2009.09.30 Wednesday
  • 00:20
 昨年の夏には前立腺がんを克服して元気だった父

今年は新たに肉腫が見つかり
50万人に一人という難病なのに
つらい闘病生活を戦い8月に退院した矢先
急に呼吸が苦しくなり再入院との連絡

「明日にでも顔を見に行くね」と
家相のセミナー3日目を終えてから行く予定で
準備をして出かけたものの
電車が人身事故でストップしていて新宿へ行けない

とホームで父からの電話
「今夜には薬で意識がなくなるから15時までに来ないと
 間に合わない」と。
「お父さんがそう決めたのね。」
不思議とすんなりその状況が受け入れられて告げると
「喪服も持ってこい」という。
この期に及んで、
最後の最後まですべてを段取り、
決めていく父。

子供や主人なしに、私だけで来いというので
兄弟に相談してみると
父のことだから、母に気遣って
他の人が来ると母が疲れるだろうからそういったのだろうというので
子供に聞いて行きたいというなら連れて行こうかと聞いてみる。

二人とも行きたいというので新幹線で連れて行くことになる。

というのも、その日元旦那に子供を見てもらうつもりでいて
駅の駐車場に車を止め、中に鍵をいれ
外から鍵をかっていないことを確認したにもかかわらず
カギがかかっていて主人が入れないというので
どちらにしても私が戻らないといけないようになっていた。

家に戻り、喪服など用意して再度新横浜に向かうが
東方位は五黄殺で渋滞でいつもなら20分のところが
1時間くらいかかってしまった。

でも、きっと父が一番良い新幹線に乗せてくれているのだろうと信じ
来た電車に飛び乗ると、案の定3席は空いていた。


祭日の中日だから私も横浜の弟夫婦の子供たちも
皆学校も休みだし、移動もスムーズで
どうしてこの日を選んでくれているのだろうかと驚く

このシルバーウイークの
私が何も予定を入れていない2日間を。

しかも家相も受けられなかったセミナーは
急きょ次回岐阜で振り替えが受けられるという

こういう偶然が必然に感じられる

到着した時は朦朧としていたのに
その後わずかな時間意識を取り戻し
皆がありがとうと最後のお別れができた。
やせ細り、抗がん剤治療のときに抜け落ちた髪やひげが
生えている分、がんも活性化していることを物語る

14時までは孫たちに将来何になるのかと
聞いていたらしい。

自分は5歳で戦争で父を亡くし貧しくて
母が小学校の運動会の時に
校庭で干物を売っていたのがとても恥ずかしかったと。
その後成績優秀で奨学金などをもらい
通信で大学も出て、自衛隊でパイロットになった
船乗りになりたかったのに母に反対されできなかった
お前たちは何でも夢がかなう時代なのだぞ!
やりたいことをやれ!
そう何度も言うので、孫たちががんばりますと誓いを立てた。

兄弟が4人で
孫が10人。
なんとも幸せな最期だ。


昔は私が宗教をやることも猛反対し
死後の世界も生まれ変わりも信じず
これが体に良いとかいっても、健康食品から何から
人がよいということはことごとく否定した父だった。

しかし会わなかったこの一年

たくさんの本を読んだのだろう

瀬戸内寂聴から五木寛之、ひろさちやなど
たくさんの本が並んでいる

私も川田洋一先生の本などたくさん送ったが
もういろいろ彼は知っていたように思う。

どうやってがん患者として生きるのか
晩年をどう過ごすのか
どう死ぬのか・・・
「死ぬことは、もう怖くないし、
 死がどういうものか、頭ではわかっていても
 やっぱり愛する人と別れるのはつらいな」
入院初日、母と長男の前で、声をあげて泣いたという。
父の涙を初めて目にする私たち
男が泣くのは親が死ぬ時くらいだと教えてもらった
厳しい父だった。

この苦しい半年の闘病生活が果たして意味があったのか・・・
父の化学療法を受けるとの決断は
69歳がその治療のできる年齢の最後であり
もう1年でも遅かったら受けられなかったこと
20万人に一人という症例を
医学界に役立ててほしいという思い
それから、
後を継ぐ息子にいろいろ引き継ぐための時間だったのだろう。

ハワイへ行こうかという話になった時も
ハワイで死んだら大学病院に献体できないなと
最後まで、世のため人のためにと思いをはせる父


ちょうど先月会社の名義変更を弟に全部終え
私の離婚が成立したのを待っていたかのように
父の肺はたった1日で水がたまってしまった。

私たちの言うことなんて何も聞かなかった父が
仮吉方にあたるすごく良い方向への入院で
退院の方角も期間も神様の計らいのようだったから
病院以外のものは口にしないでとぽろっと言った一言を
律儀に守り、絶対に誰からの差し入れも口にしなかったらしい
今にして思うと、
まずい病院食ではなく、こうなるのであれば
好きなものを好きなだけ食べさせてあげてたらと思うが
それよりも、今まですべて否定されてきたのに
私の言うことを聞いてくれたという思いが
最後の最後で、受け入れられたことがうれしかった。

夜自宅にいったん戻り
寝られない夜を過ごし朝訪ねた時には
もう声にもならなくて息しか出ないと聞いていた父が
元気にコーヒーゼリーを食べ、
ヨーグルトを食べ、
生きようとしてくれていた。

母や長男と交替し
私と妹の二人で付き添いながら
たくさん話をした。
たくさん笑った。
たくさん泣いた。

父は人の事ばかり気遣い
看護婦さんがやりやすいように
間違えないように、
数値や何か全部確認する。
ありがとうと必ず言い(声にならないが)
そこに食事が来るからかたずけてとか
ホテルは取ったのか?とか
あの数字は何?だとか
モルヒネを投与しているのに
意識がしっかりしていて、
今日は時間が流れるのが遅いと言って
何度も時間を聞き、一睡もしない

私の離婚のことも父からは言えなかったらしく
テレバシーが通じたと笑う。


妹にも「旦那を大事にするように」
そればかり。

スキンシップが大事なんだよという。

生涯母のことだけ一途に大事に愛し続けた父

亡くなって三年は母がさびしいだろうからと
それが気がかりだという

父のような頑固な人は
自分のことで精一杯で
わがままばかり言うのかと思ったら
家族の心配ばかり。

こんなに心配掛けていたのかと思うと
私の記憶も、思い込みも
本当にいい加減なものだ

うちは兄弟もお嫁さんも親戚一同とても仲が良い。
必ず母のことも、父の会社のことも
皆で協力してやっていくからと誓う

父も長男も六白で
私も妹も六白の人と結婚し
私は六白の息子を産んだ

この子こそが
山本印店で
父の血を引き継ぐために生まれた子だと言われた
「たけき」
彼はおじいちゃんとの別れで皆が泣いているのに
一人おちゃらけて、騒いで
病院でも興奮状態で
手がつけられなかった。

彼の心の中に、おじいちゃんは生き続けることが
わかっているから、彼は泣かないのだという。

でも、本当はさびしんだ と。

きっとそういう複雑な思いを
処理する方法がわからないのかもしれない。



今までいくら一緒に時間を過ごしても
愛する人に一度も言えなかったような言葉を。

昨日は私も妹も言いたいことを全部言えなかったから
その時間を作ってくれたみたいに
呼吸も苦しいのに薬を入れるのを遅らせて・・・

本当は早く楽になりたい
でも家族の思いを考えると延ばしたい

延命は断ったにしても
自分で食べれるのに、水も何も口にしないので
良いのかと最後まで迷う父
モルヒネもしながら食べることで永らえてしまうのは
矛盾しているのではないかと・・・。
それでも、体の細胞は生きようとするし
お腹もすく。
それを我慢するくらいなら好きなようにさせてあげたい

4時に母や長男を待って薬を増やすかどうかを決めようと待つ
静脈注射や、筋肉注射と違って
お腹に点滴のように入れているモルヒネはゆっくりときいていく
痛みはもうないのだが同じ姿勢でいることや
せきが出ると苦しくて、早く楽になりたいとエゴも顔を出せば
最後まであきらめないと、夕食も頼む父がいる。
最後までおむつではなく、
自分で姿勢も変え、自分で缶で飲む。
もう筋肉はモルヒネでまったく力がないのに・・・。
人間の意志というのはすごい
意識がこんなにはっきりしているものなのかと驚くばかりだ

それでもモルヒネを増やせば、意識はなくなり
心臓や肺も不全を起こすので眠ったまま楽にいくことができる

安楽死が禁じられている日本でも事実上安楽死のようなもの

なんとも、死を待つのはつらい

早く楽になってほしいけど、
それを願うのはどうかと思う。

父の肉体がなくなるだけで
意識はずっとずっと宇宙の中でひとつなのだと
頭ではわかっているのに・・・

母たちが夕方来る頃にはまた容体も悪化していた。
待ってくれていたのね…と
もう良く頑張ってくれたのだもの
もう充分私たちは幸せだったと
また生まれ変わっても一緒だよ
死んだ後も、お母さんの所に一緒にいてよ
というと
涙を流して、何度もうなずく。

父に反抗し、父に虐待されたと思い続けていた私の記憶は
すっかり癒され、
本当は、とても愛されて、
父の子供で生まれてきたことに感謝した

南無妙法蓮華経と唱えると楽だというので横で唱えると
うちは浄土真宗だよと教えてくれる。
それでも、娘の題目はとても効くというので
呼吸に合わせてゆっくり唱えると
いつも気持ち良さそうに眠った。

「止めてほしい」と聞くと首を振った
「お葬式でも南無妙法蓮華経と唱えても良い?」と聞くと
うんとうなずいてくれた。

嫌だといわれたらどうしようか・・と
この質問をするのにはとても勇気がいったけど聞いてよかった。


景色にさよならを言いたいといい
ベッドを動かし
相撲を見たいというので
テレビを見ながら
私たちに手を振る。

普通の別れの時のように。

またね・・・

また会おうね・・・

臨終に臨む彼の姿勢に
私は人生を、人の生き方を教えてもらった

子育てに苦戦している私を見て
反抗期もなく育ったので
今頃反抗期が来ているのだと妹に話していたらしい
そんな私に
この3年間ずっと経済的に応援してくれた父
大学まで出て、もったいないといつも嘆いていた父
なぜまじめに働かないと叱られるのかと思ったら
私の人生は面白いからいつか本にしたらよいと
今は充電していたらよいのだと見守ってくれた父
孫たちの行事に顔を出してくれて
時には厳しく時には優しく
私の孫を見守ってくれることが
私に何かしてもらうこと以上にうれしかった。

この父の血を私は残すことができたのだと
そのために今回の結婚はあったのだと
だから何も後悔していないと父には告げた。

親孝行とは親に返すことではないのだと
自分の子供をしっかり育てることだと
VEDAでも言うが
父はつねにそう言っていた。

親に何かしようなんて思わなくてよいと
子育てだけちゃんとしていなさいと。

子供や妻に迷惑をかけてまで生きたくない
やりたいことはすべてやったのだから
何の後悔もないと
生きることへの執着が微塵もないのを
私はあきらめなのかと・・・
勘違いしていたが、
彼はとっくに覚悟を決めていたのだ。

何かもっと早くに出来ることがなかったのか・・・
天空堂の予約を取ったり
フィリピンの神霊治療に行くなり・・・
でも、前世で決められていることなのだとしたら
彼が信じて決めて生きてきたこと
それで間違いなかったのか・・・
何が正解なのか…
その答えは誰もわからない。



JUGEMテーマ:生と死
コメント
初めまして。
いろいろ検索していたら、このサイトにたどり着きました。

この日記を読んでめちゃめちゃ泣きました。
素敵なお父様ですね。
きっと、また笑って再会できる時がくると思います。
その日が楽しみですね。

お父様のご冥福をお祈りいたいます。
  • みるみる
  • 2009/10/04 11:45 PM
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