大吉祥経における吉祥(幸せ)とは?
- 2011.04.14 Thursday
- 23:48
「大吉祥経」で「幸せとは?」
という問いにお釈迦さまが答えているんだけど
「愚かな者に近づかないこと」
というのがあって、どういう人かというと
貧・瞋・痴(どんじんち)の人なんですよね。
自分のことだけ考えているみみっちいせこい人と(か
すぐ怒る人とか、焼きもちを焼く人のことです。
なぜこうなるかというと、智恵がないからなのですね。
今お金払ったとしても後で入ってくるという智恵があったら
怒らないだろうし
この現象がどれだけ良くなるか考えられるだけの智恵があったら
今が悪くても腹が立たないわけで・・・
そう考えると
学んでくるとこの3つは無くなってくるので
心を清めるよりも学ぶことが大事なんだって思う
山に登ったり、水をかぶるような修行で清められて
人間が良くなるなら
とっくにクマやカエルの方が悟ってるといえます。
また
「かしこき人々に近付き親しむが良い」ともあります。
賢き人って上の3つの消えた、いつも静かに笑っている人のこと。
賢き人々に触れられることが幸福なんだって
2500年前のお経に書いてあるんだよね。
久々に「こころの達人」の通信講座が始まって
最初のマンスリー勉強会に
東京まで行ってきます。
それだけの価値がある先生と受講生たちだから。
前にセミナーでどういうのが良いか悪いかというのを話した時に
先生というよりもどういう受講生が集まるのかが大事と思ったことがあります。
今の私があるのはここで学ぶみんなのおかげであり
ここで出会った人は一生の宝なので
東京を離れられなかった理由の一つがこの講座だったけど
ちゃんと通信講座もスタートして学びが続けられるのは感謝です。
さらにこの経典に書いてあるのでうれしいのは
身につけろではなく、習うのは良いと言っているところ。
功徳を積むことが大事ではなく、積もうと思うことが大事
というところ。
良い事をしようと思うだけで良いのだと。
褒められたりけなさりたりに心を乱されることなく
それが手に入るか入らないかによるのでもなく
愁いも怒りも無く安穏の中にいることが一番の幸福なのだと。
そうか〜。
常に人の言葉ではなく、
自分が納得できるかどうか・・・基準は自分なんですね。
誰かがどういうかとか
どう説得するか、納得してもらうかなんかより
傷がいえることより
解決できそうな気がするという希望があるかどうか・・・で
元気もやる気も出てきて
心が静かになるな~。
サイレントパワーをまた読み始めました。
結構黙っていたら今日はうまく行きました。