変わりたくないという潜在意識の働き

  • 2010.10.30 Saturday
  • 07:08
JUGEMテーマ:幸せ
JUGEMテーマ:習い事・資格・講座
JUGEMテーマ:スピリチュアル

 最近は便利なもので

youtubeで

原作の「アウト・オン・ア・リム」の映像が見られます。


この映像の中でも真実を目の前にして

目をそむけようとしたり

価値観も変わり、

新しい一歩を踏み出すことに

抵抗してもがくシャーリーの姿が見られます。


「変わりたくない・・・・」

これが私たちの正直な潜在意識の声で

精神世界の探求を始めるとき ですらも

誰しもが少なかれ経験するものなのですね。


だからこそ、

愛する私たちの周囲の環境である身内が

憎まれ役を演じてくれて

今の私のままで良いのだと

変わらなくて済むように

葛藤や、問題をひき起こしてくれるようです。


私たちの怒りというのは

成長したいのに成長できないように

自分のエゴが巻き起こしている現象に

耐えられない時に、起こるのでしょう。


この違和感をサインだと思って

自分に目を向けられるように

寛容を学んでいきたいと思います。

だから苦労が多い人ほど、

心が広くなっていくのですね。

自分の快適ゾーンを出ないと

本来の自分には出会えないのです。

そのゾーンを出るには

今までの価値観や信念のままでは

難しいので、

書き変えなくてはいけません。

そのために、スピリチュアルなグル(師匠)が必要です。

寛容になりたいから

怒らないようにしよう

かつての私もそう思いました。


しかしマイナスはやめて

プラス思考にしよう!というのも

良くありません。

マイナスを止めようも

プラスをしようも、

どちらもマイナスは良くないと

マイナスを意識してしまうのは

マイナスな現象を生み出すので

効果は同じなのです。



普段は良いのですが、

疲れたり、余裕が無い時は

マイナスの習慣の方が勝ってしまいます。


怒りは決して悪いだけではありません。

恐怖も使い方によっては

前進のエネルギーとなります。


感情にコントロールされてしまってはいけませんが

こちらがコントロールの手綱を握ればよいのです。

潜在意識の大きな力や

感情をどう克服して

望んでいる理想の自分の姿になるのか…

お知りになりたい方には

新たな講座をそろそろ開こうと思っております。

詳しくはお問い合わせください。

atma358@gmail.com





最新の行動心理学、認知心理学

  • 2010.08.21 Saturday
  • 23:15
JUGEMテーマ:成功の秘訣
幸せになるにはどうしたら良いのか?

脳=心というものを
ユングやフロイトから発展した心理学

本来は宗教がそういうことも教えるべきなのに
こういう脳の仕組みというものを
理論的に教えているところがまだない

日本の心理学は100年は遅れていて
大学でもこれを教えているところはほとんどなく
病院は心の病は何でも
薬で治そうとするし
カウンセラーは
潜在意識の中のトラウマなど
途方もなくゴミだらけの中を
探ることで過去を変えさせようとする。

この今日学んだTOEという最新の心理学は
病院でもできないこと
カウンセラーでも治せないことを
一挙に解決してくれるセオリーである

村山先生はこれを20億円で売って欲しいと言われているが
それをしてしまうと独占されて
普及しなくなってしまうので
日本のために良くないと
講義を続け
それを伝えてくれる人を養成しようとされている

先日私も子育て教育相談センターで
子どもの行動について相談すると
下の子は発達障害があるとは自覚があったけど
全く予想もしていなかった
上のお姉ちゃんの方までも
3つくらいの病名をもらった。

育て方の性ではないので、
小児科に行って薬をもらえば
行動がおとなしくなり
それによって叱られることが少なくなれば
病気が治ることは無くても
二次的な障害
つまり、
自分を否定したりすることも減るので
今よりも私がイライラしなくて済むのではないかとの診断だった。

しかし今日のTOEに出たら
行動というのは
その人のセルフイメージから出てくるわけで
そのセルフイメージは
親の口癖から出るので
私が日常口にしている言葉を
地獄言葉から天国言葉に変えるだけで
子どもたちの脳の中で繰り返される
会話からのイメージが変わり
行動まで変わってくるとしたら
問題は彼らの行動をどうしようか・・・ということではなくなり
根本的な彼らの中のイメージを
徹底的に作り変えて行けば良いことになる

例えば
幸せな人や成功者は
良いことは長く続くと思っていて
悪いことは一過性だから
放っておいて
良いことに焦点をあてる

でも日常私たちは
悪いことに焦点を当てがちで
良いことがあっても
過去の記憶から
長くは続かないと思ってしまう

こういう思い方の癖を変えていかないと
いくらスキルを身につけたり
行動を制御しようとしても
そうなるわけがない

営業一つとっても
恐怖心があったら
スキルがあろうと
どうにもならないように
感情というものが湧いてくるので
それを対処しないことには
前に進めない

この感情というものは
セルフイメージがプラスの人は
物事に対して期待となるが
マイナスの強い人は
不安となるので
行動が常にマイナスを呼ぶことになる

とすると
やはり私自身が
マイナスばかり見るのではなく
マイナスは見ないようにして
切り捨てて行くしかない

できるだけ
プラスを見る癖をつけて
今までの過去を悔やんでもしょうがないので
今日から新しい習慣で
子どもたちにマイナスの言葉を浴びせないことに限る

EQという幸せを図る項目の中で一番大事なのは
「共感性」だという

人がうれしい時に一緒に悦んだり
悲しい時に悲しむことができるのは
そういう体験があるからこそできるもので
例えば人の不幸がうれしかったりしたら
幸せにはなれないのだ。

良い点を取った時は大いに褒め
悪い点を取った時は一緒に悔しがる

親としても、あるいは部下と接する時も
そうやっていける人が
成功していくらしい

常に問題が起こっているということは
相手が私にそれを教えてくれているということなのだと
改めて子どもに感謝の思いでいっぱいだ

障害を持って生まれても
私を愛せますか?

そう問われているとしたら

常に「なぜ?」と否定的な思いになることなく
どういう状態も
受け取るこちらの心が大事

どういう受け取り方をしたかで
自分のイメージが作られ
そのイメージ通りの行動をとる

行動を変えたかったら
その自己対話の部分から
変えるべく
頭の中で
命令しているもう一人の自分を
黙らせることが必要なのだ。

イチローにしても松井にしても
そういうことを学んでいるから
成功している

海外ではオリンピック選手のほとんどが
そういうコーチをつけているのに
日本はまだまだそういう体制ができていない

でもこの状況こそはチャンスでもあるので
今後ますます必要とされる分野であろう

利他とは?

  • 2010.03.23 Tuesday
  • 23:41
JUGEMテーマ:仏教
JUGEMテーマ:幸せ
JUGEMテーマ:スピリチュアル

 人のためにという生き方の人多いです。

仏教でも利他といいますが
一番尊ばれていますが
どういう意味でしょうか?

相手にお金を提供するとか
時間を提供するとか
物質的な何かを与えることでしょうか?

何のために生きているのか?と聞くと
「子供のため」
と答えるママは多いです。
男性なら
「仕事のため」

あなたのためにママはがんばって料理作っているのに・・・
働いて塾までいかせているのに…

会社のために汗水たらして
働いているのに…

不満が充満しているケース多いと思います。


頑張れば頑張るほど
子供は悲惨です。

そんなママなんていらない・・・。

そんなこと誰も頼んでない。

それが本音でしょう。

 

利他とは自分が喜ぶこと。

うれしいと思って存在するだけで良いのです。

うれしさは連鎖して周りを幸せな気持ちにします。

マリリンモンローもただ、美しいだけ。

ファンを虜にします。

私たちはワンネス一体のものだというのが

仏教の考え。

ヒンズー教も梵の一部が自分といいますが

人も私も一体なのだから

人のためというのは

しいては、

自分のためも同じことです。

それぞれに、本命というのがあります。

自分の使命です。

その使命を全うすることが

人のためでもあり利他のはず。

自力で生きようとがんばればがんばるほど

それはエゴです。

私たちは生かされているので

自分の使命をやることこそ

自立であり、

人迷惑をかけません。

自力で頑張る人は

はたから見ると

結構迷惑なんですよね。

受け付けないオ〜ラ〜をバンバン出して

天からの愛を跳ね返しまくっています。


この使命を

やりたいこと

ワクワクすること・・・と勘違いしているケースもあります。

使命はやるべきことです。


やりたいことなら動物と同じ。

食って寝て、ゆっくりしたい。


そんなエゴを満足することではありません。


生れてきた意味、

魂が喜ぶようなことが

必ずあるはずなので。

仕事をしているだけでうれしい。

学んでいるだけでうれしい。

それが利他ではないでしょうか?

 

 

 

 

不必要な苦労をしない方法

  • 2010.02.19 Friday
  • 00:01
JUGEMテーマ:スピリチュアル
  意図するとはどういうことなのか…


例えば、ラーメン屋を始めたとして

最初はお客さんに喜んでもらいたいという意図が

あって商売を始めるのとします。

しかし、それが日に日にずれていき、

近頃では、

借金を返すためにとか

なんの意図もなく続けていけたりもするものです。


会社員しかり

自営でも何でもそうですが

ただ何かを「したいから・・・」だけでは

駄目なのですね。

したいというのは意図ではありません。

豚は食べたいから食べますし

犬も寝たいから寝ますが

意図はありません。


意図がないと

同じものを引き寄せます。

意図のない人・・・

だから求人募集をしても

トラブルを起こすような人を

採用してしまったりします。

問題を起こす人を採用しているのも

その問題も

実は自分に意図がないからなのですね。



結局はしなくてもよい苦労を背負うことになります。


通常は意図をもっていたら

苦労をしても発展していくものです。



ここが大きく違います。

パートナーが店を大きくしたいとか

設備投資をしたいなど

事業拡大をしたいということもよくありますね。

脱サラして商売始めたいとか

転職したいとか....

そういう時でも

意図がなくて

ただなんとなく、

サラリーマンが嫌だから

一人でやってみたいなど言い出す人もいるものです。

今の仕事が嫌だからとか

上司が嫌だからとか

そういうのは意図ではありません。

そういう人に対し、

反対をせず、

違和感はあるし、

なんかおかしいと、気にはなっていても、

そういう自分の声に耳を傾けず

パートナーを信じてあげようなどと

寛容に振舞うと

一緒に沈没するはめになります。

反対しない、注意しないというのも

寛容に見えて、ただの甘やかしです。

その人の自立を妨げており

意図をもってすればもっと素晴らしい人生を築けるのを

妨げていることになります。


やはり、ルールがあって生きているので

ただなんとなく、

放浪の旅に出てみたいとか出かけて

アフリカなど海外で殺される日本人も

少なくありません。

沖縄に移住して9割がまた本土に戻ってきたり…

ただなんとなく・・・

こういうのは意図があるとは言えません。


5本指ソックスも最初はなんか

履いて気持ち良いですが

履きにくいし、ぬぎにくいし

あれは本当は体にも良くないのですよね。

それと同じで、

最初の意図をずっと持ち続けることは結構難しく

毎日意識していないとずれてしまいます。


相手がどこから発言しているのか?

パートナーや子供が

あるいは自分に意図があるのかどうか…

どうやって見分ければよいのでしょうか?

相手の気が(あるいは自分の気が)

上にあるか下にあるかで見ます。



上にあるときは助けてはいけません。

下の丹田のあたりから発せられているときは

たいてい意図があるので

どんなに不必要だと思えるようなことも

手助けしてあげる必要があります。


これを見極めるコツは

その人をぱっと見たときに

自分の目が相手の上にいくか?

下にいってしまうのか?


ほんの最初の一瞬で決まります。


自分の目が引き付けられる方からメッセージが

発せられているはずですから。

意図を持って生きる

  • 2010.02.18 Thursday
  • 00:01
何のためにインドに行くのか…

多くの人から聞かれました。

私も、これという目的もなく

何か意味があるはずくらいで

参加しました。

沐浴するため?

聖者に会うため?

会うと何かいいことがあるのか?

会えなかったら意味がないのか?

今回の旅で一番大きかったメッセージは

「意図をもって生きる」ということでした。

何のためにという、

目標とか

目的ではありません。



これを私も勘違いして生きていましたが・・・

意図というのはもっとあやふやなもの・・・。


神様はすぐに力をくれます。

聖者も祝福をしてくれます。

でも、その力を使いこなすのには

何十年もかかります。


低級霊とかはすぐに力をくれて

すぐに、使えるようになるそうですが

悪魔(エゴ)に使われてしまっては

魂を売り渡したヒルズ族のように

なってしまいます。


神も悪魔も、同じ力を持っています。

それを私たちはうまく使いこなせないといけない。

つまり、主体はあくまでも私。

私が、エゴを使いこなさないといけない。


自由に好きなことをしても良いと勘違いしがちですが

そういう能力の高い人ほど

一般のルールを守れなかったりします。


霊的な世界では、肉体がない分

何でも夢の中のように

思った通りに何でも叶いますから、

霊性の高い人は

そういう癖があるので、

答えがわかっているから

途中のプロセスがあほらしく思ってしまいがちです。


この肉体をもって生まれている現世では

いくら答えがわかっていても、

そこにたどり着く式を

ちゃんと出さないといけないというような

めんどくさいアプローチも必要になります。


インドが好きだと言っても、

規則を守らないと入国できなかったり

あるいは帰国できなかったりします。



意図がなく

ただ、聖地に行けば幸せになるとか

パワーをもらえると思うのは

ちょっと違うわけです。


ツアーだからといって

次は?と受け身で

人に流されて

ついていくだけなら

何の意味もありません。


本来ならそうやってガイドについていく

団体行動が得意なことが

優等生でしょうが

それでは何の意味もありません。



この聖者に会いたいのに会えなかったから

明日もう一度行きたい。

沐浴を私は108回やりたい。

もう一度明日も沐浴をしたい。

など意思表示をはっきりしないと

失礼だという話になりました。


「時間が許すなら・・・」

「みなさんも行くのなら…」

そんなことは謙遜でも何でもないのだと。


ガイドさんを3時半に起こして

他の人が1回潜るところを

100回以上潜って待たせることになることになるのだったら

こうしたいという意図がなければ

人の迷惑になるのだと。



このさじ加減が難しいですね。


我がままに生きるのでもなく

流されるのでもなく・・・

寛容さとか甘やかしとか

昨日の日記も書きましたが

紙一重のところなのでしょうが

大違い。

意図を持って生きることは

自分のためでもあり

人のためでもあるのですね。

これができていないと

不必要な苦労を背負うことになります。

この話はまた次回に・・・。
JUGEMテーマ:スピリチュアル

ガンジス川の沐浴のおかげでしょうか・・・

  • 2010.02.16 Tuesday
  • 22:42
 インドから帰ってきました。

信じられないような時間の流れを体験しました。

深く深く気づきが多く・・・

一言では言い尽くせませんが・・・

また明日からぼちぼちシェアします。


帰国後主人がとてもやさしく

(以前から変わらないのですが私の捉え方が変わったので…)

成田に8時に到着の予定のフライトで1時間も遅れたのに

朝の6時半から待っていてくれました。

それも、4000kmの出張の旅に息子を連れて

岡山、広島、四国などを巡った足で徹夜で車を走らせ

駆けつけてくれました。

その後の東京での滞在も子供を見ててくれたり

共に過ごす時間を持つことができ、

娘に会うために、岐阜まで車でわざわざ送ってくれて

昨日は温泉に入り、

ホテルで一泊し、

今日は遊園地に一緒に行き

久しぶりに家族4人そろって過ごしました。



こんなあたりまえなことが

たった一日家族で過ごすということが

当然のことではなく、

これほどまでに貴重なものだということを

なぜ今まで気がつかなかったのでしょう…。


親子ほど年の離れたロシア人の女の子と

再婚を勝手にされてしまったのですが

また違った絆で結ばれているのでしょうか…

許すとか許さないとかではなく

本当にお互いをわかりあえたという感じがしました。

今までの私は

子供にばかり意識がいき、

彼が子供を厳しくしつけようとする時に

私は彼の味方をせず、いつも、子供をかばい

彼を傷つけ

子供を甘やかせてきてしまったのだと気がつきました。


彼は子供たちが私に反抗的な時だけ

子供を叱っていたのだと気が付きました。


私にはけして手を上げない人でしたが

私が叱るときにいつも味方をしてくれていたのに

私が寛容さと、甘やかすことをはき違えていたので

ここまで溝が深くなってしまったのだとハッとしました。



娘がパパと別れてからもずっとずっと泣き続け

母が

「あなたは、パパにはまたいつか会えるのだからいいじゃない。
 おばあちゃんは、じ〜じはもう二度度会えないのだから」



娘には慰めにならないような言葉で

あやすのを聞きながら

本当に

いつでも会えると思って

いて当然だと思って

今までの10年間を過ごしてきたのかと思うと

本当に胸が痛くて、

子供たちに悲しい思いをさせ

家族のためにという彼の使命を

果たさせてあげられなかったことを

悔やみます。


かわいいワンちゃんをペットショップで見ながら

「いつか飼おうね」と

言うことすらできない現実に

いつかという一緒の夢を見れることは

いかに素晴らしいことなのだろうか…と

痛感します。


今度はいつ会えるか約束するわけではなく

未来を共に見て、話をすることはないけれど

相手に期待をしなくなった今

良いタイミングでまた会えるのではないかと思えます。


今までは、子供にも、夫に対しても

「何かの役に立つ」かどうかということで見ていた気がします。


だから当然、自分も人の役に立たないといけないかのような

錯覚がありました。


でも、今ははっきりとわかります。

その人が存在するだけでいいのだと。

意味があるとか、

意味づけをするのはナンセンスで

これこれだからありがたいとかではなくて・・・

ただただ、そこにいてくれるだけでいいのだと・・・



こんな簡単な答えを見つけるのに

わざわざインドまで行かなくても

離婚までしなくても

人は気が付ければいいのに…



もちろん、今回の旅も、

何から何まで、すべて私が払っています。


お金を稼いでなくても

役職や肩書がなくても

いてくれるだけで良いということを

私に気づかせてくれるために

彼の仕事がこれほど長い間うまくいかなかったのでしょうか・・・


ガンジス河の沐浴をしたおかげで

カルマの解消がひとつできたのかもしれません。

宿題をしないとか

ゲームばかりしているとか

子供に対しても、コントロールしようとして

「あなたがあなたのままで良い」と

頭では分かっているのに

言動が伴わなかったのですが・・・・

これからは

ありのままの現実をそのまま受け止める

今、その瞬間瞬間を感じていけるように

なりたいとおもいます。

ついついありもしない未来ばかり見て

眼が悪くなるから

将来勉強が遅れると困るから

そんな理由で子供の心を破壊していたような気がします

今日しかないと毎日生き始めたら、

きっとゲームを一緒にしながら

笑って過ごすに決まっているのだから。


ガンジス河の沐浴のおかげで

何のために私に違和感を感じさせるものが存在していて

それにどうしたら同化出来るのかを悟った気がします。



JUGEMテーマ:スピリチュアル

外の現象はうちなるものの表れ

  • 2009.11.10 Tuesday
  • 13:54
人はステップアップしようとすればするほど仲間が少なくなる。

セミナーに行けば、仲間も増えるかもしれないけど
仲間は私の代わりは生きてくれない。

だいいち、人は自分に興味あっても人には興味ないし・・

ただ、自分の人生に退屈になっている人は
やたら人の人生を探求しようとする

目で見えているもので分かったような気になり
目で見て全部変わるなら苦労しない。
外に出ている現象は内なるものを出しているだけだから
内なるものを見なければ
何の問題も解決しない

でも、その内なる世界は気が遠くなるほど広大で
探求する量が多すぎる
魂レベルや潜在意識が宇宙大に大きいことを知っているから
その無限に途方にくれて
安心したいと逃げて、
確証が欲しいと近道を探してしまう。

でも、近道なんて無いのだ

やらないといけないことをやっていないから
心配になり、
それを埋めるために、
外的なものに走る

どんどん自分の本質を見つめることから遠ざかる

自分とのコミュニケーションも、うまく出来ないから
もちろん人とのコミュニケーションもうまくできなかったりする
うまくできるようになりたいと
たくさんのセミナーがあるけど
人生は誰かに理解してもらうためにあるのだろうか?

良い友達が欲しい、
そう思うのは何のため?

人生は、寂しさを埋めるため?

コミュニケーションをとりたいのは何のため?

小さい頃は、理不尽なことが多かった。

道理もわからないし、
なぜそれをしないといけないのか
説明してくれる人も無く
周りの人間の価値観に合わせないといけなくて
自信をなくして、傷ついて、
そんなじぶんをかばうために
当事者なのに、別の自分を作り上げて、
被当事者になり、
客観的に見ようとして
傷つくこともなくなったと同時に
無感動になっていく

今の10代の若者も、人生がどういう意味があるのか
人生とはどういうことなのか?
それが分からないという人が多数いるようだ

どうやってお金を稼いだらよいかとか
そういうことに関心を示すよりもだ

自分には価値があるのだろうか?
生きる意味があるのだろうかと
命を粗末にする風潮もそこからきている

夜回り先生がいつもいうのは
私たちが生きていることは
自分を喜ばせることではない
誰かを喜ばせ、幸せにしてあげることだと。

でも、自分のことすら、見えていない人が
「人生とは?」の質問に
誰が答えることが出来よう。

自分のことも理解できていないから
人の言葉の意味すらも理解できない

「あなたは優しすぎるわ・・・」
別れ話の女性のせりふが
何を意味しているのかを
男性は知らない・・・

なぜ自分はその人の前で笑顔でいるのか?

なぜ自分は強気で振舞っているのか?

なぜいつも気を使っているのか?

自分のそう振舞う理由を知らずして、
その奥にあるそう振るまうようにしむけている
自分の内的な要因に気がつかずして
どういう風に振舞えば良いのかだけを教えても
意味があるのだろうか?

私は私の何を守りたいのだろうか?

何を恐れているのだろうか?

怖れから、宗教も生まれ、
恐れがあるから税金も払い
政府も存続し続ける

恐れが世界を動かしている。

これをしたら、恐れがなくなるとか、
不安を取り除くことは不可能なのに・・・・
そういう商売が世の中にはあふれている

一つ取り除いたとしても、
また別の不安や悩みがやってくるのに・・・

完全になりたい、
完璧になりたいと思っても
人生はいつまでたっても未完成

外に求め、
もっと、もっとと獲得することにばかりエネルギーをかけても
いつまでも、不安も不満も埋まらない


人生に近道はない
JUGEMテーマ:スピリチュアル

肉の持つこの限られた時間の中で
時間の無駄使いするのをやめて、
ちゃんと自分の今与えられている
この今を生きられるようになるために
克服できるべき、目の前のことを
ちゃんとやっていかなくちゃ。


病気と体と、食べ物と精神

  • 2009.11.09 Monday
  • 20:36

怒りや悲しみも、私たちの胃腸は消化してくれている
1〜2ヶ月何も食べなくても便は出るのだから
明らかに、食べ物だけではなく感情を消化していることがわかる
しかし消化されず、溜まりに溜まると肝臓やら、内蔵に行くらしい

ベジタリアンになって1年

先日父がなくなり、母は全く食欲がなくなって7kgもやせた
無理もない
食事なんてしていたら、
大きな悲しみまで消化できる余裕はないから
体は必然的にそうなるはず・・・

それを心療内科や消化器科に行って
薬をもらっても
何の解決にもならない。

それでも彼女は
「元気になるように。食べなくちゃ」
「無理して食べなくても良いんだ」といっても
昔の人だからわからない・・・。
昔の人というくくりはいけないか・・・
私の身近な大切な人ほど、
こういうことを受け入れてくれない
私は知っていて、
こういう考え方があるとか
こういうお医者さんがいるとか言っても
そんなもの信じないとか
そんな余裕がないとか
真実を知るのが怖いとか
直面しなくて良いように、言い訳が返ってくる

食べたくないときは食べなくて良いし
悲しいときは悲しくてよいし
熱が出るのも意味があるし
それぞれ必要だから起こっている

癌も最初の5mmになるのに9年かかるらしい

まず健康診断で見つかることもなくPETだってその確立は低い

それを発見されてからもっとこうすればよかったと
自分を責めている母をみて、
寿命は決まっているのだから・・・としか声がかけられない

先日インドのナチュロパティーに行った友人が
体もデトックスするけど、感情もすごくデトックスしたと言っていて
来年3月くらいにまた10日間断食する素晴らしい施設があるので
ツアーが組まれる予定で
私もぜひ行きたいと思っているが、
その友人の両親が癌だというので3週間行ったら
日本ではもう手が付けられないといわれていたのに
消えてしまったらしい
しかし、帰国後、また同じような生活、同じような考え方なら
またその同じ病気が発生する確率は高い

私たちがなぜその病になったのか
それに気がついて、習慣を変えない限り・・・


今日息子が熱を出したのも
先週実は小学前検診があり、
彼なりに「ちゃんとしなくちゃ」と肩に力が入っているからだという。
ちょうどインド占星術で彼が調子が悪くなる日が正確にわかるのだが
その日にせきが出始めて昨夜熱が出て、体中が痛いといって
昨夜も何度も起きては泣き、悪夢にうなされていた。

神ノ木クリニックの先生には
「この子は他動性LDなのではないか?と保育園の先生にも言われていて
専門家の先生に診てもらったほうがといわれたのですが」と相談すると
「その専門家というのが・・・なんですよ」ということで
「彼の成長にとって、必要だから起こっていることで
 お母さんが気にしだしたから今日来ることになったのでしょう」と。

すべては私の内面が起こしている現象
病名を聞くと、わかりやすい。
それならこうすればよいとか、一つの処方箋を聞いて、
それで安心しようとしてしまう。
彼の成長の段階で、今はまだ決めつけられないことが起こっているだけかもしれないし
本来は、ただ意味のあることだ、必要なことなのだと見守ることが大事なのに
あせっていたのかもしれない

これはこれで病気というくくりではなく
遺伝とかそういうものでもなく
個性なのだ、
何か私にとっての学びなのだと素直に思えるようになった。

「岐阜に帰るかもしれないので、先生のようなホメオパシーの医者を中部地方でごぞんじないでしょうか?」と聞くと
「彼の体のことは、彼が一番のドクターです」とのこと。

本当に神の木クリニックに行くと
また原点に戻ることが出来る。
ついつい身内のこととなると過剰な心配になるものだ。

人のことばかり心配せずに、
自分の内的な心の整理が出来れば
心配の種すら発生しないのだ。

それを心配の種の芽が出れば、
それを切るという繰り返しの作業に
人ははまってしまう。

ついついそういう潜在意識は多忙を作り出し
さらに自分を見つめることをさせなくさせてしまう。

あの占い師、あの霊媒師と他力本願的に解決しようと
自分の与えられている考えることでの成長を投げ出し
お金や時間と引き換えに、簡単に答えを知ろうとする


誰かに治して貰おうとする依存がある限り

その人は道からはずれてしまうのだ 
JUGEMテーマ:スピリチュアル
JUGEMテーマ:スピリチュアル

自己啓発セミナーで人が変われないのはなぜ?

  • 2009.11.08 Sunday
  • 01:05
 セミナーが巷にはあふれている。
これはどう?あればどう?と聞かれるし
周りも結構行く人が多い

知ることは楽しい。
新たなことを知ることは快楽で、やみつきになる。

でも、実際できるようになった人を知らない。

手の届くところで学び始めることは
知りたくもないと何もしようとしない人よりは良いかもしれない

でも、今現実に自分の起きている悩みや
問題を解決しようとしても、
実際にそれを克服する努力を
怠らせようとしてきた
トラウマや、想念や、信念や価値観に
気がつかずして、
新しいものは入ってこない。

定着しないというか、確立しない。

新しい家具を買っても
前の家具が置いてあってスペースがなければ
入らないように。

でも、前のを出そうとするとめんどくさい。

今までこれで生きてこれたのだものと
肯定させ、内観して、それに気がつくのは
無駄なことだと思わせる。

そういう風にしないと
生きて来れなかったので
それらが守ってきてくれていたのだけど、
何に傷ついたり、
何を我慢してきたのか
これらを、内観して
見ようとしないままで
自分が変わることは難しい。

でも、ただ内観するだけで人は成長するだろうか?


どうやって内観するのか?
瞑想したり、座禅を組んだりしても
そのやり方を勉強しないと、知識がないと、
時間の無駄である

人は自分のことをやりたくないから
人のことばかり心配する。

自己啓発セミナーに行って
3年後に自分はどうなっていたいとか
夢を描いて、現実逃避しようとしている

何年前からセミナーに通い続け
変わりたいのに変わっていかないとがっかりし続けているだろう?

変わっていかないのではない
変えようとしていないのだ
JUGEMテーマ:スピリチュアル



calendar

S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< October 2017 >>

無料メールセミナー

メルマガ登録・解除
  ID:07449
メールで姓名鑑定講座
   
無料メルマガ インフォマグ

selected entries

categories

archives

recent comment

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM